應聲教院(おうしょうきょういん)は静岡県菊川市にある浄土宗の寺院。永代供養、水子供養、墓地分譲、各種法要を行っております。
子授け、縁結び・夫婦円満、厄除け。應聲教院山門は、国指定重要文化財となっています。

境内案内

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国指定重要文化財應聲教院山門
この山門は、徳川二代将軍秀忠公が生母追善供養のため寛永3年(1626)静岡市宝台院の大門として創建されたもので間口7.8m、奥行3.63m切妻造八脚門で桃山時代の風格を持つ東海地方第一の山門であります。
建築奉行は、門奈助右エ門、山口清太夫大工棟梁は東照宮や増上寺などを建立した当代随一の甲良豊後守であります。大正7年に宝台院より当山に移築され昭和29年に小笠郡下で最初に国の重要文化財として指定を受けました。松風霊山の額は皇円阿闍梨の旧家である華山院侯爵親家侯に揮毫されたものであります。



水子
水子供養
縁なくして早く肉親と別れた多勢の罪なき水子さん達をあの世で親代わりとなって、面倒を見てくださり、お守りしてくださる佛様であり、地蔵菩薩は弱者を救うとする信仰から、子供の守護者の性格が付加され、子安地蔵、水子地蔵としてお参りされている。参拝される方は水子地蔵だけでなく子育て地蔵としても手を合わせてください。




浄土宗
御本尊歯吹如来
法然上人が皇円阿闍梨菩提所
奥ノ院ご本尊として安置された歯吹阿弥陀如来(はふきあみだにょらい)
東海念佛発祥の道場となる。
今から約850年前に浄土宗開祖法然上人が当山に奉安されたと伝えられ、芥子国(けしこく)の作であります。
歯吹如来または破顔徴笑如来とも呼ばれ、にっこり微笑んだ柔和なお顔の口もとには美しく揃った歯が拝むことができる日本でも珍しい尊像です。
上品下生印の立像で、背には舟型光背をいただき、ご尊体は本体80cm、全高110cmであります。
人間の智恵を以ってしては到底量り知ることのできない無量の徳をもった仏様であります。



縁結び縁結び
愛染明王堂
縁結び・夫婦円満 愛染明王堂は遠江十二霊場納経所になっています。
中内田御門の、尚宝院の愛染明王は行基の作と言い伝えられています。聖武天皇の時、紀州熊野山南谷の楠の大木を伐って三体となし、海中へ流し、その流れ着いた所を祭地と定めたといい、その内の一体が遠州灘海岸についたので、稲荷山尚宝院に安置されたといわれています。
江戸時代には堀内氏(小笠原氏の一族で、室町末にこの地方に勢力を張っていた。現在の堀内一統の先祖にあたる)の守護神でありました。
毎月の28日が供養の日にあたり、昔は紺屋職人の神様として例祭には善男善女で賑わいをみせていました。愛染は「藍染」に通ずることと「愛で染める」という語呂からきたものです。




普賢菩薩
智慧・辰巳生まれの方 一代守本尊 遠江十二支霊場辰歳・巳歳
十二支とは、人間の苦しみや悩み事を、十二の因縁に分け、十二獣にあらわしたものです。その一獣が衆生済度(しゅじょうさいど)のために、姿をかえた菩薩の化身であると説かれ、12月の中に、常に一獣づつが人間、天上界をめぐり、衆生教化するといわれているものです。
遠江十二支霊場は、あなたの一生一代をお守りする、霊験(れいげん)あらたかなご本尊をまつり、開運厄除(かいうんやくよけ)・無病息災(むびょうそくさい)・心願成就(しんがんじょうじゅ)の功徳(くどく)をさずけていますが、應聲教院では普賢菩薩さまをまつり、辰歳の人・巳歳の人をあまねく守護しています。




子宝子宝
小宝万体大師堂
子授け大師として祈願者に大師一体を貸与、子供授かりし時は大師一体を刻み、子供達の身体健康・虫封じ・安産等の守本尊として当院に奉納する。
明治の末、我は日本一の乞食の親分で、大津三五郎と名乗り年齢45才、6才男児一人連れ、当院に来たり。子供の福徳円満を祈願し「金剛杖、弘法大師千体刻みたい」との申出あり。
時の住職53世眼誉天察上人、早速、当檀家、田中喜八・堀内平三郎の二氏に彫刻を依頼す。両氏大師彫刻を日課とす。材は四国遍路の金剛杖を用い、味切包丁にて刻み、両手に豆を成す。大師像は白木当院に運び、小僧達の手にて着色す。胡粉と墨を用う。千体彫刻の満願、以後万体を念願精進すれども、平三郎氏、83才にて死去断念す。
当院境内弘法堂に安置し、子供達の身体健康・虫封じ・安産等の守本尊、特に寒弘法には、三河・岐阜方面より参拝者来たり、信仰厚し。
何時頃か時期確かならざるも、世人、「子授け大師」と呼ぶ。




呑兵衛
呑兵衛地蔵尊
日本で初めて 呑兵衛地蔵尊縁起
この呑兵衛地蔵様は焼津市出身のある娘さんの一寄進で、こよなくお酒を愛し、この世を去った父親を慕い、亡父と同じく故人となられた多くの呑兵衛供養のためにと、地蔵様建立を一念発起、三年目にして大願成就(たいがんじょうじゅ)、昭和51年11月23日に開眼供養(魂をいれること)が行われました。
地蔵様のご本体は、藤枝市の石彫家が、二トンの自然石を約7ヶ月の歳月を費やし、一心不乱、総手彫りにて完成しました。大きさは、等身大、左手に杯を持ち、胡坐(あぐら)をかき、泰然(たいぜん)としてお酒を嗜(たしな)む姿を、人呼んで呑兵衛地蔵さん!

お堂はなんと大きな酒樽、各地を尋ね、やっと秩父市の某醸造家より六尺樽を譲受け、その樽を伏せ、杉皮葺きの丸屋根を乗せ、樽側面を入口とした、風流なたたずまいは、実に呑兵衛地蔵さんのお堂としてふさわしく、ぜひ参拝の上ご一見ください。
樽の大きさは、直径2m10、深さ2m40、中味は、31石5斗3升8合入り、1升瓶で3153本も入ります。