境内案内

七不思議

三度栗

栗の実が一年三度実るので「三度栗」と言われています。昔、弘法大師が説法をして全国を歩き巡っていたところ、ちょうど小笠郡菊川町三沢にさしかかりました。その時、村の子供達が四、五人山で拾って来た栗の実を、うまそうに食べていました。おなかがすいていたお大師様は、子供達に頼みました。「私にもひとつ分けてくれないかね」と。子供達は素直に「はい、どうぞ」と栗をさしあげました。この村は、その日暮らしの毎日で、子供達は食べ物も少なく、毎年秋には栗を食べてお腹の足しにしていました。子供達と一緒に栗を食べたお大師様はすっかり元気をとりもどし、子供達の頭をなでながら言いました。「大事な栗をありがとう。お礼に来年からこの村の栗を三度実が成るようにしてあげよう」
それから、この村の栗は、毎年秋に三度栗が実るようになったということです。

 

片葉の葦

武蔵の国大里郡の熊谷直実(くまがいなおざね)は、鎌倉初期の武将として名高いが、かの有名な一の谷の戦に、退く平家の公達を呼び戻し、組み合の末、首かき切ってみると、我が子と同年ほどのうら若い武将、平敦盛でした。箙(えびら)には昨夜平家の陣中から聞こえてきた笛(青葉の笛)が差されており、世の無常を感じるところとなりました。数年後の建久三年、所領論争に久下直光に敗れたのを契機に出家を決意し、京都の源空(法然上人)の弟子となり、蓮生坊(れんじょうぼう)と号したことは世に知られるところです。
この熊谷直実が法然ゆかりの当院を訪れた時、法然上人から授けられた「袈裟」を松の枝(袈裟掛けの松)に掛け、下の小池で手を清めました。この時、袈裟に触れた葦が、念仏の功徳に感じて片葉が伸びなくなったと言われています。また、一説には、繋いでおいた直実の馬が片側の葉を食べてから、片葉の葦になったとも言われています。