境内案内

小宝万体大師堂

子授け大師として祈願者に大師一体を貸与、子供授かりし時は大師一体を刻み、
子供達の身体健康・虫封じ・安産等の守本尊として当院に奉納する。

明治の末、我は日本一の乞食の親分で、大津三五郎と名乗り年齢45才、6才男児一人連れ、当院に来たり。子供の福徳円満を祈願し「金剛杖、弘法大師千体刻みたい」との申出あり。
時の住職53世眼誉天察上人、早速、当檀家、田中喜八・堀内平三郎の二氏に彫刻を依頼す。両氏大師彫刻を日課とす。材は四国遍路の金剛杖を用い、味切包丁にて刻み、両手に豆を成す。大師像は白木当院に運び、小僧達の手にて着色す。胡粉と墨を用う。千体彫刻の満願、以後万体を念願精進すれども、平三郎氏、83才にて死去断念す。
当院境内弘法堂に安置し、子供達の身体健康・虫封じ・安産等の守本尊、特に寒弘法には、三河・岐阜方面より参拝者来たり、信仰厚し。
何時頃か時期確かならざるも、世人、「子授け大師」と呼ぶ。
その因は藤枝在と聞しが、住居氏名不詳なるが、夫婦15年も子供なし。「当院万体大師、一人を授け給へ」と陰詣りし処、男子が授く。その信仰体験記を婦人雑誌に掲載せん以後より以来、当院を尋ねし者多く、祈願者に大師一体を貸与、子供授りし時は大師一体を刻み、健康祈願の為に当院に奉納す。
昭和5年10月23日、弘法堂焼失、その際不幸に一部焼失せるも、数千体は現存す。